障害者、高齢者、子どもたちが笑顔で集うコミュニティ「シェア金沢」
2017年09月1日 公開
8月25日、高齢者の地方移住コミュニティモデルとして注目されている「シェア金沢」を視察してまいりました。シェア金沢は、CCRC(高齢者が健康なうちから入居し、その後介護や医療が必要になっても快適に過ごすことが出来る高齢者向けコミュニティ施設)として紹介されることもありますが、高齢者移住の施設ではなく、障害を持つ人々が多くの人々と交流し、就労できることを目的に開発されたコミュニティです。
訪れた人たちが「また来たくなる」ところ
金沢駅から車で25分。
小高い丘の上、向かいには金沢刑務所の高い壁が聳え、国立の結核病院跡地の11,000坪にエリア型のシェア金沢があります。
エリア内には、天然温泉、レストラン、児童発達支援センター、高齢者デイサービス、生活介護、訪問介護、児童入所施設、障害者就労クリーニング店、アトリエ付き学生住宅、全天候型フットサルグラウンド、自然体験を重視した学童、産前産後ケア助産院、ジャズ喫茶バー、高齢者向け住宅に住む人たちが働く売店、ボディケア、アルパカ牧場、ドッグランが立ち並んでいます。このエリアで展開している事業は10を超え、まさにごちゃまぜのコミュニティ。
すべての施設の見学アテンドをしていただいた清水施設長は、頼り甲斐のある素敵な女性。総勢100名のスタッフを束ね、日々彼らが仕事のできる環境づくりに余念がありません。
「障害者施設や高齢者施設をたくさん視察していらっしゃると思うのですが、視察が終わって『また来てください』と言われて、また来たくなる、あるいは実際に足を運んだ福祉施設はありましたか?」視察の冒頭、清水さんからこんな質問をされて、どきっとしました。
確かに、先進的な取り組みを学びに多くの施設を訪れます。近所の施設ならば、イベントなどに参加させていただくこともあります。しかし、少し遠くの施設になると、そのあとなかなか足が向きません。距離的な問題や時間的な問題もあるかもしれませんが、そうではない理由もあるかもしれません。清水さんが私たちに問いかけたのは、「また来たくなる」という自信があってのこと。このあと、その取り組みや仕掛けを視察して、その自信の源を体感させていただくこととなりました。
障害者との相互理解を深めるために地域を巻き込み発展
シェア金沢の運営主体である社会福祉法人 佛子園はもともと戦後の混乱期、戦災孤児や知的障害児を預かったところからその歴史をスタートしました。1960年ようやく社会福祉法人化できた佛子園は、1979年に障害児通級保障確立後、特別支援学級事業を展開します。
1998年、高齢化・過疎化が進む能登町で福祉施設としては初となる地ビールの製造販売を始めます。これが、かの日本海倶楽部です。
石川県内6市1町で約70事業を展開する佛子園。ある時、廃寺でグループホームを建設するにあたり、施設周辺住民の反対運動にあいました。これが佛子園の転機となります。
障害者施設のイベントで年に一回二回、施設を解放しただけでは障害者、個人を理解してもらうことはできません。日頃から、相互理解につながる取り組み、仕掛けが必要だと考えます。そこで目をつけたのが、日本人にとってのキラーコンテンツ、温泉でした。
町会世帯には無料解放の温泉を設け、さらにレストランを併設して地域住民が集える場を作りました。その結果、年々、居住世帯数を増やしています。
シェア金沢には、エリア内に市道が走り、夏のラジオ体操、秋の神輿、小学校のマラソン大会、学習プログラムなどなど、とにかく地域を巻き込みます。
ごちゃまぜにする。割らない、切らない。とにかくつなげる。
今年の7月に隣接町会で発生した水害避難者への温泉提供も当時の施設長の判断で実行しました。シェア金沢は、非常時にも街に欠かせない存在となってきています。
人口減少に歯止めをかけ、移住を促進する。
席や役割を争うのではなく、シェアする。
生涯活躍のまち、元気なひともそうでないひとも、時も、支え合うことができるようになっています。
――私がつくる街、シェア金沢のコンセプトがまさに物語っています。
視察を終え、清水さんがお見送りの際に「また来てくださいね」
「はい!もちろん(*^^*)」
と、感謝の言葉とともにお答えしたのは言うまでもありません。
自信をもって「また来てくださいね」が言える、地域のつながりや資源を生かすこと、強化する場づくりにこれからも尽力してまいりたいと思った1日でした。