集団行動がとれない、ジッとしていられない、こだわり。個性と障害を分ける意味

立石美津子の子育てアドバイス vol.16

2017年07月4日  公開

   立石美津子の子育てアドバイス 子育てコラム


「子どもってそもそも落ち着きがないものだし、自分の思い通りならないと癇癪を起すし」・・・これって性格かもしれません。そんなとき「障害だ」と言われたら辛いですよね。

「障害なのか、はたまた個性の延長線上にあるのか」線引きするのはとても難しいことです。そこで今日は『子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』著者の立石美津子がお話します。

どうやって診断する?

ダウン症児であれば染色体を調べれば21番目の染色体が3本あることで明確に診断ができます。

けれども、発達障害児については現代の医学では脳のMRIや採血などの検査で数値が出て、それだけで客観的に「はい、発達障害です」とわかるような生物学的マーカー(指標)は残念ながら無いのです。専門の医師が行動観察し、様々な検査をして診断します。

実は健常児(=定型発達児)と発達障害児の子ども達の間にはっきりとした境界線はありません。このことから“グレーゾーンの子ども達”という言葉も生まれました。

親の価値観で子どもの扱いが変わる

受け入れてもらえないケース

あるママのつぶやきです。

ひと時もじっとしていられないわが子。こだわりが強すぎるわが子。「子どもだから」で済まされる範疇ではなく不安になり、専門機関に連れて行ったら「もしかしたらグレーゾーンのお子さん、発達障害かもしれません」と言われてしまいました。

そのことを周りのママ友や保育園の先生に伝えると…

「そんなことないよ。子どもなんて大なり小なりみんなそんなものよ。元気なだけよ」「誰でも得手不得手があり凹凸があるのが人間なんだから、障害じゃなくて個性の一つと考えればいいじゃないの」と励まされました。

この言葉を拠り所にして「我が子の行動は個性や性格の一つ」と片づけたい気持ちもする一方、「もしかしたら、脳に元々何か障害があるのかもしれない…」の不安もよぎり、悶々とするママでした。

園に伝えても「特別扱いできない」と言われるケース

個人面談のとき「うちの子は発達障害があるので特別な配慮をしてほしい」と申し出ると、担任から「それは個性の一つですよ。どの子も性格も違い個性があるのですから、お宅のお子さんだけ特別扱いは出来ませんよ」と拒否されてしまうことがあります。

その結果、配慮してもらえなくては難しい子なのにも関わらず、毎日の園生活を送ることになります。

親が受け入れないケース

前記のママとは正反対に「お子さんに発達障害があります」と専門医師から言われても、障害を認めたくない気持ちがあり「いいえ、うちの子は発達障害児ではありません!ちょっと個性的なだけなんです!」と頑として拒む場合があります。親の気持ちのどこかに「障害があることは不幸だ」の思いがあるからです。

個性か障害かと分ける意味は?

いつの時代も「個性か障害か」の論争があります。

けれども、個性という言葉はとても曖昧で漠然としています。また個性か障害か分けることよりも子どもが困っているならば、その特性に合わせて何らかの援助や支援、配慮を周りの人がしなくてはならないと思うのです。

例えば車椅子に乗っている人を「それは個性だ」とは言うことはありません。視覚障害があり白杖や盲導犬を連れている人に対しても言いません。けれども見た目が普通でわかりにくい発達障害児に対しては「障害も個性だ」という言葉が盛んに使われているように感じます。

この曖昧模糊とした言葉に振り回されて個性か障害かの議論をするよりも、「今、子どもが困っている」そのことにスポットを当て、どうやって楽しい園生活、学校生活を送らせるかを考えることが大切なのではないでしょうか。

合理的配慮が義務化された

2016年4月に「障害者差別解消法」が施行され一人ひとりの困りごとに合わせた「合理的配慮」の提供が義務化されました。(公的施設以外は努力義務)通常学級に在籍する児童に個別の対応を教員側がしなくてはならなくなりました。

例えば文字の読み書きに困難がある学習障害児(LD)にはタブレットや音声読み上げソフトで学習させるなどがその例です。

これを個性と片づけてしまったら配慮はされないことを意味します。

障害児も健常児も、そもそも個性は万人に存在する

そもそも個性は、万人に存在します。それは、障害児だろうと健常児だろうと同じことです。

また、障害のある子どもを持つ親に対して第三者が「障害のある子は天使よね」などと、「障害そのもの=性格」のような言いかたをしているのを耳にします。

でも、そんな型にはまったものではありません。知的障害児、ダウン症児、自閉症児の共通する生まれつきの特性はありますが、育った家庭環境で意地悪な子、穏やかな子もいて様々な性格が形成されていきます。その中で、一人一人に違った個性が生まれると思うのです。

染色体異常が原因であるダウン症児であったり、生まれつきの脳の機能障害がある発達障害を含めて、「障害そのものがイコール個性だ」としてしまうのは、少し乱暴なのではないかと思います。障害と個性は別物だと私は思っています。

なんでも個性の問題にしてしまえば、「個性があるのはみんな同じでしょ」と済まされて、健常者の枠組みの世界でその他大勢と一緒にされる恐れがあります。それは、その子が直面している生活上の支障を取り除いたり、特別な支援・配慮も受けらないことを意味します。

個性か障害かの議論よりも、「何に困っているか」に注目して

そのため、どこまでが個性でどこからが障害かの線引きが難しいのが発達障害という概念の特徴ですが、個性か障害かの議論をするよりも、むしろ私は、その個別に配慮する具体的な視点こそが、大切なのだと思います。

「全部、みんなと同じようにしなさい」と言われることは本人にとって酷なことです。

そんなときは例えば、聴覚過敏があり幼稚園で流される音楽が耐えられない、運動会で使われるピストルが恐くて仕方ないのならば、それを使うときだけ別の部屋で待機させる。皮膚の感覚過敏で粘土や糊が触れないのならば、別の作業をさせるなどです。これで安心して園生活を送れます。

どうぞ、個性という言葉でひとくくりにしないで、子どもが毎日、不快なく生活できる環境を準備してあげてください。それで子どもが穏やかな顔になるとママも幸せな気持ちになると思うのですが…

皆さんは個性と障害どう区別していますか?


立石美津子(たていし みつこ)

子育て本著者、講演家。聖心女子大卒。幼稚園・小学校・特別支援学校教諭免許を取得後20年間学習塾を経営、現在は著者・講演家として活動。自閉症児の母。著書は『1人でできる子になる テキトー母さん流 子育てのコツ』『はずれ先生にあたったとき読む本』『子どもも親も幸せになる発達障害の子の育て方』など多数

 立石美津子オフィシャルブログ

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