幼児期に知りすぎると入学後、鼻もちならない子どもになり担任に嫌われる?
立石美津子の子育てアドバイス vol.13
2017年04月2日 公開
「幼児期にお先走って文字や数字を教えていたら、小学校で授業中に『それ知っている!もう幼稚園で習った!』と自慢げに大騒ぎして担任から嫌われる」、「既に知っていることを習うと退屈してしまう」の噂を聞いたことがありませんか?果たして本当なのでしょうか?
幼児期にたくさんの知識を入れてしまうことによる心配は次ですよね。
- 知っていることをまた習って、学校の授業に飽きたり退屈したりする。
- 「知っている」と自慢してお友達に知識をひけらかしたり、大騒ぎして挙手して授業妨害する。そして担任から「やりにくい子だなあ」と思われて嫌われてしまう。
でも実際はどうなのでしょうか?
今日は、『1人でできる子になる テキトー母さん流 子育てのコツ』の著者の立石美津子がお話します。
知っているからこそ集中できる
もし、あなたがチンプンカンプンのフランスの歴史の授業をフランス語で来る日も来る日も受けなくてはならなかったら、どんな気持ちになるでしょうか。
きっと「ああ、わからないなあ、聞きたくないなあ、早く授業終わらないかなあ…」と思い、45分間着席していることが苦痛になり、睡魔が襲ってくるでしょう。
実は“知り過ぎていて眠くなったり、授業に飽きてしまう”ことはないのです。むしろその反対で、知っているから更に聞きたくなります。
特に子どもは本能的とも言えるほど “繰り返し”が大好きです。絵本だって“て・に・お・は“まで一言一句丸暗記している本を飽きもせず、毎晩毎晩「これ読んで」と持ってきませんか?
私も以前、小学校低学年の児童を指導していた時期がありましたが、小学生で算数の授業を一番、熱心に聞いているのは算数が得意な子、国語の授業を一番熱心に聞いているのは国語が得意な子でした。
苦手意識を持っている子はあくびをしたり、他のことを考えていたりして集中できていませんでした。
宿題も不得意な子はやりたがらず、得意な子はどんどんやってきて学力差が開いていく一方でジレンマを感じていました。
運動だって運動が苦手だったらやりたくないですよね。音楽が好きだから音楽をやりたくなりますよね。“好きこそ物の上手なれ”で“知っているからまた聞きたい”“得意だから興味を持つ”のが人間だからです。
知っているからこそ言いたい
子どもは自分が知っていることを言いたがります。
「これは○○なんだよ」と嬉しそうに言います。これは「俺は偉いんだぞ」と自慢する気持ちがあったり、自信過剰な気持ちから口に出しているのではありません。
「知っているから話したい」だけなんです。誰かに聞いてもらいたいだけなんです。その気持ちを汲んで大人が上手に対応してやることが大切ですね。
ところが小学校の教師の中にはこれを嫌がる人も実際います。「これらから早期教育している熱心な保護者の子は困るんだよな」と職員室でぼやいていたりします。
大人が教えるべきルールは
小学校は集団での指導です。35人の生徒達に自由に発言させたら収集がつきません。こんな時は担任は次のように授業中のルールを教えていけばいいんです。
- 先生が話をしているときに「僕もう知っている」と言った場合は →
「知っていても今は先生がお話している時間だから黙っていようね」 - 別の子に指名しているのに答えてしまう子がいた場合は →
「自分が差されたら答えようね。今、先生は○○ちゃんに質問しているから静かにしていようね」
このように授業を受けるためのルールを丁寧に教えて行くのが担任の先生の役割です。「知りすぎていると小学校へ入学後、授業を妨害するから幼児期にいろいろ教えないでほしい」と言うのはある意味、先生の都合だと思うんです。
次にそんないくつかの例をお話します。
小学校入学後、自分の名前を漢字で書いたら叱られた子
幼児期から自分の名前を“鈴木幸子”と漢字で書ける子どもがいました。ところが、入学後漢字で名前を書いたら、名前の上に大きく×がされていました。
親が学校に抗議に行きました。すると担任から以下のように言われてしまいました。
「まだ、国語では教えていないからひらがなで書かせてください。それから、漢字で名前が書いてあるとあなたのお子さんは読めるからいいのですが、他の子どもが読めません。落とし物をしたときに自分のところへ戻ってこなかったら困るんじゃあないですか?」
でも、ちょっと屁理屈のような感じがします。
幼稚園や保育園で下駄箱やロッカーに子どもの名前を漢字で書いてある園もあります。子どもは記憶力が大人以上に高いので自分の名前だけでなく、友達の名前も漢字で覚えてしまいます。
たいていの園は子どもに自分の持ち物を意識させるため「○○ちゃんはイチゴのマーク」「△△君は電車のマーク」とシールを貼って教えていますが、漢字で名前を書いているとそれらの必要もなくなったりします。
それに何よりも両親が「幸せな人生を歩んでほしい」と願いを込めて“幸子”と名付けたのに大きく赤で×をされたり、“さちこ”と書直しを強いられたら…なんだか悲しいですよね。
「授業で教えたら使いなさい」はどうなの?
こうなると“学校で教えた瞬間から漢字を使うものは漢字で、そうではないものはひらがなで書きましょう”という風になっていきます。
例えば“山田太郎くん”の場合は、“やまだたろう→山だたろう→山田たろう→山田太ろう→山田太郎”と段階を踏んで子どもは書かなくてならない状況になります。
これは名前以外でも同じで“がっこう→学こう→学校”“きしゃ→き車→汽車”と混ぜ書きをさせられます。
ところがしばらくして国語の教科書でその漢字が登場すると、教える側の都合で「今日からは漢字を使いなさい」となる訳です。
子どもは混乱し「きしゃ」をその頃習った「き」を適当に置き換えて“木車”と書いたりします。これを“当て漢字”といって小学校の先生が漢字の指導で苦労している代表例です。でも、最初から“汽車”と漢字で読ませていたら、こんなことにはなりません。
私がかつて学習塾で見ていた生徒が学校で「汽車」と書いたら正解なのに「まだ授業で教えていない漢字だから“ひらがな”で書くように」と担任から注意をされてしまいました。それ以降、その子どもは漢字を使うことに不安を持つようになり、作文もお手紙もなかなか漢字を使おうとはしなくなってしまいました。
もっとおおらかな気持ちで周りの大人が「最初から社会で漢字表記をされているものは漢字で書いても構わない。漢字で書こうとした意欲を汲んであげよう」としていればこんな風にはならなかったかもしれませんね。
昔は“学年別配当漢字”の縛りがありその学年で教えない漢字は使ってはならないとされていましたが、今は配当漢字以外でも振り仮名をつければ見せてもいいと変わってきています。
カタカナ
子ども用の絵本を見ると“かれいらいす”“ぷうる”“あいすくりいむ”などと書かれているものがあります。でも、これなんだか凄く違和感がありませんか?
子どもはアンパンマン、メロンパンナちゃんなどカタカナも漢字も区別なく、どんどん吸収していきます。2歳くらいの子どもでもキャラクターの名前を覚えると同時にカタカナも自然に覚えていきます。
カタカナ表記されているものをなぜ“ひらがな”で?
子どもが“カレーライス”と書けるのにも関わらず「まだ教えていないから、ひらがなで書きなさい」ともし叱ったらどうなるでしょう。
子どもは“かれいらいす”“ぷうる”“あいすくりいむ”と書くようになります。ところが、しばらくして国語でカタカナを教えてからは、生徒が“かれいらいす”なんて作文に書いたら今度は注意されてしまいます。一旦覚えたものを又、覚え直ししなくてはならず、子どもは苦労します。
最初から社会でカタカナ表記されているものはカタカナで見せるのが自然のような気がします。もし、ひらがなだけを知っていてカタカナが読めないのならば、カタカナの横に振り仮名を振っておけばいいですね。
知り過ぎていることは決していけないことではありません。「知らないからわからない」「わからないからつまらない」は大いに起こります。
知識を持っていることがいけないのではありません。それよりも“誰かが話している最中に割り込むことをしない躾”をすることが大切です。こうすると大人になってからも“自分のことばかり話す人”“話を横取りする人”“相手が話している最中に話の腰を折る人”と思われてしまう周りから嫌がられる大人にはなりませんよ。
これは保育園での送迎時に担任と親が話しているとき、子どもが話しかけてきたら「今、先生と大事なお話をしているから静かに待っていようね」と躾ていくことで身に付けることができます。
また、先生がみんな前記のような対応をするわけではありません。でも、そうではない担任に当たった場合は、せめて家庭では「学校では先生のおっしゃる通りにしなさいね。でもお家では書けるカタカナ、漢字は使ってもいいのよ」と応援してやりましょう。
子どもは使い分けする能力も案外ありますよ。せっかく伸びている芽をせめてお家では摘まないようにしましょうね。そして「授業がわかる!楽しい!」となるように幼児期に知的な色んな刺激も与えておきましょう。
立石美津子(たていし みつこ)
子育て本著者、講演家。聖心女子大卒。幼稚園・小学校・特別支援学校教諭免許を取得後20年間学習塾を経営、現在は著者・講演家として活動。自閉症児の母。著書は『1人でできる子になる テキトー母さん流 子育てのコツ』『はずれ先生にあたったとき読む本』『子どもも親も幸せになる発達障害の子の育て方』など多数