「古典に学ぶ民主主義の処方箋」を読んで
2016年09月2日 公開
お手伝いしてくれているインターン生の読書レポートを紹介します。
東京女子大学 現代教養学部 国際社会学科 経済学専攻 2年 村林加奈子
私は政治に関して興味がないわけではなく、一般常識程度の時事問題については頭に入れていると思う。(実際はそんなことないかもしれないが。)しかし、このような政治的な本を読むのは初めてだった。政治に興味がないわけではないけれど、政治家が書いた本に興味を持ったこともなければ、そもそも政治家に興味を持ったことはなかった。というよりはそのようなことを意識したことがなかった。読もうと思った理由もなければ、読みたくないと思った理由もない。いわば無関心だったのだ。
ところで前の選挙で18歳投票権が始まって私はその恩恵を受けることになったわけだけれども、自分自身に驚いたことが二つあった。
一つ目は、そもそも7月の参院選の時にもう自分が投票するのかと、18歳選挙はまだまだ先のものではないかと思っていて、親だとか大学の先生に言われなければうっかり選挙に行き忘れそうになったのだ。
前述したとおり私は政治に関心なくはないのだ。選挙は絶対行くべきだし、選挙権を持ったら必ず行くといっていたので、選挙に行き忘れそうになったという事実に戦慄した。石井先生の言葉を借りるなら、「選挙無意識層の拡大」に私も手を貸すところだったのである。
二つ目は、いざ投票となったときにだれを選べばいいのか分からない、そもそも誰が立候補しているのかもわからなかったことである。選挙期間さんざん最寄りの駅前で選挙の演説をやっているのは知っていたが、誰がやっているとか、どういう人がいるのかというのは全く分からなかったのである。そのため立候補している人の雰囲気なんかを全く知らないまま新聞にのっていたプロフィールや政策をみて決めることになったのだが、先生の本を読んでそれはきっと作りこまれた良いイメージをみて投票したということ、「社会の空洞化」に付け込まれ「政治の表層化」を私の行動は助長してしまったのだと感じた。
先ほどは自分のことと本を読んで感じたことを関連付けたのだが、これより純粋に本を読んでの感想を述べたい。
強く感じたのはとても客観的に書かれた本だということ。自民党の政策や、自分の所属する民主党(当時)の政策までも客観的に分析して「ここが悪かった」と述べる冷静さには脱帽した。また、本文には私にも記憶に新しいような政治の話があったのには驚いた。とても速いスピードで書き上げたのだろう。
例えば「号泣会見」の話である。かの号泣会見は本当に印象に残っている。悪いイメージしかもっていないし、なぜあんな人を選んだのかと私も思った。そうしたなかでこういったプロセスで彼が当選して、こういった状況だったから間違ってしまったのだと説明はとても客観的で納得させられたし、あの事件は彼だけの責任ではなく、投票者だけの責任でもなく社会全体の風潮にも問題があり、自分の市や県でおこってもおかしくないことだったのだと感じた。
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